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ひすいちゃん
山が恋しい2023年01月13日 

最近えらい体調が悪くてなかなか治らないのですが、
そういや引っ越す前の実家では、
こんな体調の崩し方はしなかったな・・・という症状がいくつか出ています。

基本的に私は引きこもり生活みたいなもんです。
人に姿をさらすのがとても嫌で、基本用事がなければ家から出ない。
まずこれが健康上良くないなとは思った。

でも、実家に居た時は、家周りに人があまりいなかったので、
出かけたい時にすぐ近くにあった山のふもと、
林の散策など、自然に触れて歩き、日光を浴びていた。
これと同じことが引っ越してから全くやれなくなった。

・・・

普通に家から出て、散歩すればいいんじゃないの?って感じなんですけど、
とにかく人に姿をさらしたくなさ過ぎて・・・
そしてそういう山の散策って、自分の趣味でもあったのですが、
この趣味を始めたきっかけが、人と会わない為だったのです。
家すら窮屈で逃げ道がほしくて、
度々山の方へ行くようになり、それでこころが保たれてた事がある。

でも今は近くにそういう隠れられる山がない。
そのそもの趣味の目的地が消えてしまったので、
そのまま散歩する目的がなくなってしまったのだ。

メンタル面は昔よりも好調で調子は良いのですが、
やっぱり人が苦手で、姿を認知されたくない。
がんばって出てみても、やっぱりいつも人目を気にしてる。
楽しいことも、野草が少なくて楽しくないし、
ゆっくり見てたら道端でうずくまってるように見えるので目立つし、尚更人目を気にしてしまう。

そんなの気にしない人からすると、
そんなに気にするなんて異常だと思われても仕方ないですが、
私はそうなんです・・・・

・・・

この山の散歩で、私は健康の一部が保たれていた気がする。
日光を浴び、歩いて登って運動し、空気をいっぱい吸って呼吸を整える。
裸足で地面を歩き足裏を刺激し、手で木や石、土を触ることも。
これらが今の生活は、ごっそりなくしている。

体の芯が温まらず、低体温症になりがちなのは、
日光に当たってないからというのがでかそうです。
もともと運動不足だったのは変わらないのに、こんな症状、前はなかったので・・・
引っ越してから頻発するようになった症状です。

実家に居た時も、そこまで外への散歩は行ってなかったですが、
自然に唯一行っていたのは日向ぼっこです。

・・・

今なんで日光浴ができてないかというと、
部屋の構造に問題があるのと、
やっぱり外にはいつも人の気配があるからです。

普通にしてたら部屋の奥には日光が入らない。
窓際はゆっくりできるスペースではない。
ベランダに出ようものなら、人の気配。落ち着かない。

でも今の自分には、最低限、日に当たる時間を増やす事が必要な気がします。
なので、人が少ない時間を見計らって、そこで何とかしようと思う。
「がんばらないとできない」のが悔しい。
それくらい人の気配が気になって仕方ないです・・・

・・・

人の気配、は、私の睡眠や夢見にも影響が出てる。

だいぶ慣れてきたつもりなんだけど、
こうやって調子が悪くなるとすぐに神経質になっちゃうし、
耳がいいもんだから、耳栓してても色んな音がとても気になる。
耳栓したらしたで、外してた時に分からなかった音がよく聞こえるようになったり。難しい。

近すぎる車の音、人の話し声、
分からなくなった鳥や虫の声、山のざわめき。
街中暮らしでは当たり前だけど、私には合わないのかなぁ

まぁ今はもう仕方ないので、なんとか足掻いて生きていく。
次住まいが変わる事があれば、
多少不便でも山近くの人里離れ気味な場所にしたいですね。

これはこれでいい経験になりました。
山に頼り切ってた人が、
便利な都会に来たらどうなるのかっていう体験談0(:3 )〜 _(‘、3」 ∠ )_

・・・

ここらの事情は鬼少年にも組み込んで見たいね。
亨くんは私と同じように、
山がないと落ち着かなくて、
身を隠せない環境にそわそわしたりします。カワイイ。
まぁ亨くんは人嫌いではないけどね。

山の中から見える人間界って、けっこう何でも丸見えなんですが、
人間界側から見る山って暗闇の世界も同然で、何がいるかほとんど分かりません。
身を隠すにはまじでもってこいです。
(実際に藪に隠れて人間観察をしてみる、って実験をしたら面白かった)

そういう意味もあって、
山に散歩しに行くのは人の目線が少なくて安心感があるのです。
まぁ逆に何かあった時に発見されないって危険はあるんだけど・・・

・・・

私が山に行って遊ぶときによくやる行動は下記の通りです。

【気候を感じる】
・風の音を聞く
・木々の葉の擦れる音を聞く
・風の質感を肌で、匂いで感じる
(これらで天候の状態がなんとなく分かる)

【毎日起こってること】
・鳥や虫の鳴き声を聞く
・木漏れ日の光り具合を見てる
・日当たりの良いところで日光浴、たまに寝る
・夕暮れを日が沈むまで見続ける
(癒されるし、時計なくても時間感覚が出来上がったりする)

【すぺしゃるいべんと】
・霧が発生したら見に行く
・土砂降りの雨の中を遊ぶ
・雪が積もったら遊ぶ、無音を楽しむ
(安全な範囲でやってるけどまじ楽しい)

【自然観察】
・気になった植物の様子を年間見る
・食べられる野草を取って食う
・虫を見つけたら観察
・動物の死体の観察(滅多にないけど)
・鳥の観察
・手で、裸足で物体を感じる
野草や落ち葉、石や土、倒木や木の根など
・夜の月と星の観察
・夜の静寂を感じる。(夏はカエルがうるさい)
(命の循環をものすごい感じる・・・)

こんなことを以前は「息抜きに」やってました。
まじで・・・・・?
自分でビックリだよ・・・
これ今は全然やってないんですよね・・・

・・・

インディアンの教えの本を読んでいて思ったんですが、
自分はこれらの行動で自然に共鳴できてたんでしょうか。
「疲れたら自然にかえる」というのは、何ら間違いではなかった。

私の場合、常に疲れがちなので、
常に山がすぐ近くにあるというのは、
とても大事な事だったのかもなと思った。
実際家の中に居ても窓を開ければ山を感じられていたし、
部屋に居ながら日向ぼっこや月の観察がその場でできたりして、癒されていた。

今の環境でもできることはやりたいけど、
山の散歩をする理由だった「人に会いたくない」という根本的なとこが解消できない時点で、
私にとっては、現環境での外への散歩は非常にハードモードになってしまった。
人に会わないためにやっていたのに、
人に会わなければ散歩ができないなんて無理がある・・・

うじうじ未練たらたらで情けないけど、
ここでも自己否定はしたくない。私は、山が好きなのだ。

いつか山付近の住まいへ戻れる時まで、
なんとか健康面気を付けます。