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しにかけ
死にかけの夢2023年11月14日 

ここ連日疲れたような夢を見ているけど、
とにかく自分を大事にしたいような夢だった。
昨日はこんな夢をみた。


子どもの頃に遊んだ公園に、年を取ったような亀がいる。
甲羅からは苔や草が生えていて、黄色いお花も咲いてる。

しにかけに見えて、その場から動かない。
そっと見守ろうと思ったら、亀の目の前に餌らしきものが落ちて、
それを食べようと動き出した。
餌も何故か動いてて、そのまま亀と一緒に公園の外に出て、
溝の奥に入っていってしまった。
追いかけたけど、見失い、家の方に向かう。

向かった先のマンホールに、何かいる。
フタではなく、具合の悪そうなおばあさんがはまっている。

なんとなくすごくかわいそうで、
ビニールのような大きなものが肌にひっついていて、無理には取れない。
隙間は内臓のようなものが腫れて埋めている。

愛しくて安心させたくて、
頭をやさしくなでながら、そのビニールを少しずつはがしていく。
このままではしんでしまうけど、
それよりも今目の前のおばあさんを、出来る限り楽にしたい。

-別の夢(今日)-

暗い館の中で殺人事件が起きたらしく、
大勢が倒れている中、
男の子が一人だけ端でうずくまっていて
「ぼくはへいき・・・」と言って、生きている。

めっちゃ好きな見た目で、自分が描いてる物語のようでもあった。

・・・

疲れている夢には変わりないんだけど、
ここ最近の傾向を考えると、自分を癒す方向性に行ってるなと思った。

亀にもいろんな意味があるけど、
今回の場合は
「純粋・マイペースさ、長い時間生きた命」みたいなニュアンスに思う。

見た目はリクガメというよりはウミガメに近いフォルムで、
陸にいることが不自然で、
溝を伝って水がある「水面下」に行ったのは自然なこと。
餌を追っていたので、まだしなない。生きる気がある。

行先は下水なので汚いは汚いが、
それは汚れた私自身という意味も含んでると思う。
それに、正しく機能すればちゃんと浄水に向かえる。
一概に汚いだけのルートではない。癒しに行ったのだ。

ただ、やっぱり私は汚れているという認識は、
後で出て来たおばあさんが意味を強化している。

・・・

おばあさんは、前にも似た夢を見た事がある雰囲気だった。
おばあさんは、わたしの人生を意味すると思う。
死にかけで最後を看取るように、やさしく接する夢。

ただ、前回は本当は妖怪だったおばあさんだったけど、
今回は本当に弱い人間で、病気な感じだった。

特徴的なのが、肌にひっついたビニールとはみ出したような内臓。
内臓といってもそんなにグロテスクな見た目じゃなくて、
あまりに腫れすぎてビニールと同じような無機質な見た目になっていたけど、
やっぱり感覚的には気持ち悪い。
異常がなければ内臓なんて表に出てくるものじゃないので、
これだけでもう不自然で苦しさを象徴している。

・・・

ビニールについても大事な描写だった。

ビニールって、この夢の場合どういう意味になるのかなって思ったけど、
人が捨てるゴミとか、撥水性があるとか、自然に簡単には戻らないとか、
そういう感じに思った。

人の捨てるゴミとして環境を汚す。
(自分含め、非道徳な掃き溜めになっていること)

命の源である、水をはじいて溶ける事がない。
(存在する限りこれからもその掃き溜めが残り続けて、生きながら苦しむこと)

土にも簡単に戻らない、分解に非常に時間のかかるもの。
(分解するにしてもかなりの時間がかかること)

そんなものがひっついていて、しんどくないわけがない。
見ていてとても悲しくて痛々しくて、
これを自分の生きて来た人生だと思うと、
どんだけ傷ついて汚れてくたびれて生きて来たんだと思った・・・

・・・

優しく顔や頭をなでていると、ビニールがはがれやすくなる。
やっぱ、大事にしないと自分が苦しい。

もうすぐしんでしまうかも、とは思ったけど、
それよりも真っ先に苦しみを取り除きたくて、それだけを考えていた。
「今私ができること」は、
今までの私に優しくすること、だと思った。

それが難しいから今も苦しんでるんだと思いますが、
できないからやらない、じゃなく、
やっぱりできるだけ優しくした方がいいんです。

亀もおばあさんも、しにそうだけどはっきり死んだという描写はない。
この時は、まだ先がわからない状態なのだと思う。

・・・

翌日は、殺人事件の事後の夢。
男の子だけ生き残ってたけど、ずいぶんくたびれて。

なにがどうなったかは分かんないけど、なんか大変だったんだろう・・・
しんでいた人の中に「おじさん」がいて、
あぁ私またがんばりすぎてたか・・・それを何かがまた止めてくれたんだな・・・と・・・

男の子だけが生き残っていたのは、
私を肯定する意味で、いまはこの状況でいい。仕方ない。
って状態を意味していると思う。
焼け野原みたいな0(:3 )〜 _(‘、3」 ∠ )_

あとは過剰な恐怖を抑えてくれてる。
恐怖に負け過ぎない為に生き残り、
あと頼り過ぎないよう、いっしょに弱って同じ立場になってくれてる。
わたしのこころのなか、なかなか満身創痍だわ・・・

最後に、私がそういう物語を描いた感じになっていて、
こころの主導権をまた取り返したのかもしれない。

・・・

どうしていったらいいのか分かんないけど、
自分を責めて苦しむってやっぱしんどいな・・・

マンホールもさ、普通は入れないじゃん。
入れたとしてもあんま奥には行けなくて、
やっぱり見えない世界の境界線なんです。

亀も下水の方に流れていって、見えなくなった。
私のこころの世界の見えないところに。

そこからはみ出るようにマンホールにはまっていたおばあさんは、
そんな見えないこころの奥から出て来たものだと思います。

なんだかんだ、最近夢の中の場所はほぼ同じ場所を見ていて、
そこはやっぱり私の子供の世界です。
子どもの頃の私にとっての、世界そのものな場所。
「家~公園~近隣の道や山林」これだけの世界。

こんなちっぽけな世界で隠れたり飛んだり逃げたり遊んだり、
いつまで夢見てるんだろうとは思いますが・・・
そんだけ大事なことなんでしょうね。

離れたいだなんて思わず、
そこにある夢の現象に親身に付き合っていきたいです。