手記

  • カテゴリー

  • 過去記事

おばあちゃんとわたし
守りの夢2022年10月10日 

ここ数日の夢は実はなんかすごい。
ずっと夢の中で戦いに巻き込まれてる。
私が戦いたいわけではなく、なんか巻き込まれてるだけ。

単純にただの葛藤と疲れの夢だと思います。
いろいろ頑張っててこんなこと言うとバチ当たりかな、
がっかりされるかな、と思うんですが、
はっきり言うと、発表そろそろ疲れたなー!!!って感じですね。苦笑
楽しいです!
楽しいんですけど、これ、疲労に対して自分がマヒしてるだけって感じです。
本来はすっごい疲れてると思う。

勘違いしないでほしいのは、
疲れているからと言って、「嫌い・嫌になった」という事は一切ないという事です。

よく勘違いされて悲しいのですが、
精神の疲労と、精神的嫌悪感は別物です。
精神も体力と同じです。
体をいっぱい動かすと、普通に息切れしたり筋肉痛になるでしょう。
動いたら動いただけ単純に疲れる!
そして自分は、体力と精神力のキャパがそれぞれどちらも低い!
それだけです!

(RPGで言うとHP・MPが低いのに技や呪文の消費値が高くて限界来るの早いってやつ)

・・・

元々体力ないのは承知の上で今の忙しさにしたので、自業自得なんです😂
それが夢に現れてた。

なんと夢で、新聞紙を食べた。
そしてその新聞紙の成分で麻痺して吐き気がして、吐き出した。
口を洗浄しても洗浄しきれず、
まだ洗浄しなければならず、汚染が根深そうだった。

この夢の表すところは、まぁそのまんまなんですけど、
とりあえず手始めにやめなきゃいけないのは、もう情報収集はいったんやめた方がいいなってところです。
アンテナ張りすぎて、ずっと発表機会の情報を探してしまっている。
もうクセになってる・・・

新聞って情報メディアなんですけど、
当たり前ですけど、食べ物じゃないですよね。
そんで自分、新聞って普段見ません。
なんかいっぱい文字が書いてあって分かり辛いし、
インクの匂いは苦手だし、でも新聞の情報量の詰め方ってすごいなとは思います。
そして新聞紙のインクは吸収もすごくて、脱臭にも役に立つ。

この、情報量の多さと脱臭の特性を、
両方入れ込もうとして盾矛みたいになっちゃってるなぁと・・・
もう自分の心理的にはわけわかんないんでしょうね。
普段しないことだし、本来の自分じゃないって意味かも。
そりゃ吐き出しますわと。

・・・

あと、食べた後手遅れだったのか、口の中が痛くて苦しかった。
痛みを自覚したならまぁいいのかな。
命の危機の合図。おおげさかもだけど。
洗浄も1回じゃできなくて、お医者さんも出てきたけど、また2回目来てねと。
これは1回の夢ではまぁ無理だなぁという暗示かなと思った。
(実はこの夢の前日に、医者が逃げてお手上げみたいな夢を見ていたので兆候はあった)

・・・

その後の夢。
介護が必要で、死期の近いおばあちゃんを介護する夢を見た。
ぜんぜん知らないおばあちゃん。
でも、なんだか赤ちゃんみたいに愛おしくて、
最後まで一緒にいて、最後まで幸せでいてほしい気持ちでいた。

両腕で抱えていたという行動がとてもこころに残っていて、
そこまでするのは本当に大事なものなんだなと思った。

でも、実はその周りの環境が全然おだやかじゃない。
ビルの上層っぽい施設にいたんだけど、
空襲が始まって、地上のシェルターに逃げなきゃいけなかった。
周りに子供がいて、子どもたちは逃げなきゃと動くけど、
私は妙に落ち着いていて、とにかくおばあちゃんを穏やかに過ごさせてあげたかった。
私が慌てても、怖いだけかなと。

おばあちゃんも穏やかな雰囲気で、
実は正体は妖怪なんだけど、
人間が好きで、人間の姿で終わりにしたいという感じだった。

・・・

こういう、緊急時なのに落ち着いていて慌てていない、
という夢はちょくちょく見てたりする。
(家が燃えてるのに、持ってくものを慎重に考えてのんびりしてるとか)

単純に、まだ大丈夫、の意味かなと思う。
先日の夢で疲れを自覚して、慌てても疲れるだけだし・・・

おばあちゃん、自分の頑張ってきた証なのかな。
ほんとに赤ちゃんみたいに純粋さを感じたんだけれど、
頑張ってきたんだな、という感じもして愛おしくて、
正体は妖怪だというのも、目に見えないものを信じた自分を表していて、
同じ人間として現れて対等だという感じもした。
(超常的なものって畏怖・畏敬的なものを感じて、対等に思いにくいじゃないですか・・・)

・・・

夢の方も、私に合わせて寄り添ってくれて、
死んで終わりにして、また新しいこころに生まれ変わるお手伝いをしてくれているのかもしれない。
自分が死ぬわけじゃなかったのでそこは統一できないけど、
最後を見取りたい、という思いが本当に切なくて愛おしくて、
大きな変化の前に、なにか儀式的なものをしている感覚があった。

まわりにいた子供は、「今」を見ていて、まだまだ未来がある象徴でもある。
その空襲に慌てていたし、正しい反応と行動だと思う。
その子供達に私も指示をしていたし、
ちゃんと「今」を自覚しつつ、なにかゆっくりこころ構えをしているのかなとも思った。

なんか説明難しいけど、とにかく、嵐の前の静けさとか、なんかそういう感じです。
戦い的な描写は葛藤の側面もありますが、
その葛藤は、過去の経験や先の事がわからない不安など、
本当に整理がついていないからだと思います。

その不安を感じていながらも、
とにかく今は「自愛と慈愛」両方を大事にして過ごそうと思った。

・・・

この夢を単純に「今」と捉えるなら、
私は夢と同じように立ち止まって、
おばあちゃんの最期をおだやかに看取れるように、
忙しさと穏やかさを両立して行動しなきゃいけないんだろう。

むずかしい・・・とは思わない。
むしろここ最近、忙しさだけに捉われていて、
穏やかな生活を欠いていたように思うので、
ちょっとくらいゆっくりしてもいんだろうなと思った。

おばあちゃんはこれまでの人生経験の集大成。
がんばってきた自分、認めてあげないといけないね。

・・・

ここ最近はしっかり完結するような夢を見ていないので、
何回かの睡眠と夢を繰り返して、
気持ちの整理を自然にしてくれている気がします。
分析しようとしても、なんか判断するには足りないなって感じで、
複数の夢の経過を見て、やっと似たモチーフや流れがあるなと気付けました。
こういう夢の見方も本当に好きです。

・・・

余談だけど、こういう精神的気持ち悪さというか、
混乱したごちゃごちゃ感は「夢を通して客観的見る」となんか好きです。

現実意識で同じことが起こったらめちゃくちゃ嫌なんですが、
なんか夢だったらむしろ面白く見つめられてて、不思議です。
夢というフィルターを通した時だけ、
自分の精神的嫌悪感にゾクゾク感を感じて楽しんでいられる。
うわぁ マゾい0(:3 )〜 _(‘、3」 ∠ )_