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流夢
黄昏のこころ2023年02月16日 

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・2/12 4:18、8:46、18:28

自分のことばかりの記事ばかりですみません・・・
いろいろあって、ほんとに不安が溢れて来てる。
季節のせいだとは思うけど、なんなんだこれは。

とりあえずひとつの不安のタネを紐解いてみる。
最近特にふわっとした自分の世界語りばっかなので
頭の状態を心配される方も発生しそうですが、正常です(^o^)


【なやみ】自分の作風があまりに中間な雰囲気すぎる点

私の作品は、闇すぎるわけでも、明るいわけでもない。
でも、ほんとにダークなのが好きな方からしたらかなりマイルドでパンチがないし、嘘くさい。
明るい作風というには、薄暗くておとなしすぎるし怖い描写がどこかで目立つ。

でもいいんだよね。
どっちにも振りたくないのは、本当の話。
あまり露骨にダークに寄りすぎると単純に怖い事が多いだろうし、
私はその気持ちを増幅させたいわけでもない。
どちらかというと守りたくて、癒したい。
おそらく作品にパンチがなくなるのはこの気持ちのせい。
ありのままで存在することを許されたい気持ちで、ダークな作品を描いている。

・・・

明るい方に寄りすぎると、
私の持つ闇の部分が怖がってしまう。
表向きの自分しか見てくれない恐怖が襲ってくる。

今まで、勝手な印象やイメージで語られることの多かった人生で、
それにわたしのこころは振り回されつつも、
それに癒される人がいたというのも嬉しい事実だった。
だから、癒される人がいるなら喜んで力になりたいけど、
自発的に明るい絵を描くのがしんどいのは、イメージの一人歩きがしんどいからだ。

このイメージの一人歩きにどれほど私は苦しんだことか。
私のこころのバランスを保つためには、
ダークな作品を多めにするのが楽で、
でも、明るい絵も好きだし、人がそれで癒されてくれるのも嬉しいのは事実。
平和で可愛いものが溢れたらいいのに、と本当に思っているし、
明るいかわいいものが好きなのも事実で。

でも、明るくて美しいものは闇を見えなくしてしまうから。
私の闇を見てくれなくなる。ありのままでいられなくなる。
別に無理に理解をしてくれなくて全然よくて、
少しなら別にそれでもいいが、
明るい面以外のことも知って貰えないと、逃げ道がないと、私がいなくなる。
明るさや優しさ、道徳は時に暴力になることもよく知っている。
それは他人だけでなく、私が私自身に向けた場合でも。

ここらへんがごっちゃになって、
光と闇のどっちにも振り切れない作風になっていると思う・・・
どっちかというとほんとに暗い方だとは思うんだけどね。
でもほんとに暗いかって言われると、希望持ちすぎなんだよな。癒されたいし。

・・・

暗いというには明るい。
明るいというには暗い。
怖いというにはそこまで怖くない。
かわいいというにはカッコよすぎる。
カッコいいかと言えば丸くて可愛すぎる。
柔らかいかと言えばどこかにトゲがある。
美しいかといえばどこかに汚れがある。
グロいかと言われるとそこまでグロくないが場によってはグロすぎる。
雰囲気が弱いかというと強すぎる。
雰囲気が強いかと言われると弱すぎる。
ネガかと言えとポジすぎる。
ポジかと言うとネガすぎる。
弱気かと思えば急に強気になる。
絶望してるかと言えば希望も持ち続けてる

たぶん、ほんとに見る人からしたら、
どう感じたらいいのか迷うでしょう。
よく言われます。どんな人か、何が好きなのか分かりづらいと。

でもみんなどっかしらそういう部分は持っていると思うのです。
私はカテゴライズほど便利でめんどくさいものはないなと思っている。
そんなに世界は単純じゃないと思う。

でも、そんなことを思いながらも、属性、所属に拘る自分もいる事も分かってる。
そしてそんな自分に気付くとすごく嫌な気持ちになる。
決めてしまうと、はみ出した時に苦しくなる事があるのが分かっているのに、
属して考えを捨てる楽さも知っている。
何度も何度も悩む事になる。

なんか自分はこの、「どっちつかず」という雰囲気に惚れてる気がします。
「どっちつかず」というジャンルなんかなぁもう0(:3 )〜 _(‘、3」 ∠ )_

・・・

そんでも、作品作りに悩むことは基本ない。
感想も頂けてて、私はこのままでいいんだという嬉しさも感じられています。
けど、実際自分の作風丸出しで公募展に出ると、
さみしいって思ってしまう事がわりとあったりする。

なんていうか、ほんとに分かりにくくて困ると思う。
いや、分からなくていいんだけど、
作風がほんとに受け入れられにくいだろうなぁって、
周りの作品を見ているとなんとなく感じるのです。
作品発表の悩みのタネになっている。
受け入れられないって感じるのが、単純にさみしいです。
(まぁこれってどの作家さんも思ってる気がしますが・・・発表してる限り仕方ないよね)

自分のその作風が個性的ってことで
喜べばいいんじゃんってとこなんですが、
そうなれないのが自分の意味不明なところです。

個性を重んじるくせに調和も愛しているし、
そのせいで周りがよく描く、受け入れられるモチーフで描けない自分に絶望する。

孤独を愛するくせに寂しがりで。
目立つのは嫌なくせに見てほしくて。
自分の我を通して、受け取る側のことを考えずに
見てくれと主張し、望む結果が得られなければ勝手に悲しむ身勝手さ。

自分でもわけわかんないけど、
発表している時もやっぱり、作品を通して仲間探しを自分でもしてしまっています。
寂しくて寂しくて。
もうほんと、作家活動としてはすごくわがままで、でもこうせずにいられない。

寂しくなってしまうくらいなら、
もうあまり公募展は出ない方がいいのかなぁ・・・
とも思うんだけど、どこかにいるであろう
「どっちつかず」が好きな方のこころに残りたくて、活動をやめられない。
アンテナ張り続けて、仲間探しのような事をせずにいられない。
ひとりぼっちさみしい。

・・・

同人の即売会が比較的寂しくないのは、
本当にいろんな方がいるからだと思います。
人も多いですし、
たぶん単純に見つけてくれる頻度が高いから寂しくないんだと思います。
だからほんとは同人だけでいいのかなぁって思ったりもする。

でも、同人ではなかなか原画展示難しいじゃないですか。
できたとしても、ゆっくり見て頂く事が難しい場合も増えます。
そもそも即売会には来ない人だっています。
いそがずにゆっくり見てほしい場合や、
同人とは違う層に見てほしい場合って、やっぱり展示って必要だなと感じてます。

・・・

たぶんここら辺これからもずっと悩んでうだうだしてしまうと思います。
でも、そうやって悩むのも、大事なことですからね。

ふらふらした「私」を考察するのが楽しすぎる。
いろんな気持ちをふわふわゆらゆらしてるのが、けっこう楽しいんです。
自分大好きか・・・まぁそうだろうけど、
でも、自分の中に自分じゃない誰かって、みんないるでしょ?(きめつけ)
自分だけど他人、他人だけど自分と感じる。
そんな感じを楽しんで生きて、創作している。

そして一応自分が行動して、鏡のように何かが返ってくる。その繰り返し。
みんな鏡の数や向きは違うと思うし、
今は私に反射して返ってくるのを、偶然的に待ってることが多い状態なのかもしれません。

作品という形で鏡に映る回数が少ないので、
発表も作品も増やしたいのは山々ですが、
それも疲れちゃうので、せめてしばらくは公募展我慢しようかな。
めっちゃ出たいのいろいろあるんけど・・・
うん・・・今年は個展っていうくそでか鏡を用意する予定なので・・・
力をためようね。

以上、なんだかよくわからない自分語りでした0(:3 )〜 _(‘、3」 ∠ )_