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おおきなもの
しぜんたい2023年07月12日 

私情の大きな用事が終わった、と書いたのだけれど、
その時に起こった事も含めて、
やっぱり神様っているのかな~って思う事が最近増えてきた。

自分はなんとなく昔から、自然への感謝をする事が好きで、
基本的にどんな状況も自然の起こしたものなら好きだ。

天候は、晴れはもちろん、曇りも雪も雨も嵐も雷も大好き。
(身の安全の確保はしっかりするけども)
だから、先日は雨が降ったら
みんなが困るにも関わらず雨の予報で、
それでも私自身はそんなに嫌悪感はなかった。
ただ、他の人が困る顔は見たくないし、雨はそういう意味では止んでほしかった。

そんなこんなで当日、一番大事な場面では雨が止んで、
終わった後に雨が降った。
なんかもう神様の存在を信じたくなるような出来事で、
でもこれって初めてのことじゃなくて、何回かは体験してることだ。
たぶん他の人も、そういうことってけっこうあるんじゃないかと。

・・・

偶然だろうけど、それでもそういう運命の時に動く事になっていて、
私は自然に任せて行動している。
偶然、と片づけるだけだと味気ないんだけど、
その自然の流れであった出来事に感謝する事は常にしている。

コンテストの賞も、私の力で取ったのではなくて、そういう流れに導いてくれた今までの時の流れのお陰だと思っている。
「私の実力」はほんの一部にすぎないです。

コンテストを開いてくれたということ、
そこに集まった人たち、
これまで生かしてくれた親しい人たち、
色鉛筆を作ってくれた人たち・・・
挙げればきりがないほど、たくさんの要素が合わさってのこの結果です。

・・・

でも、「自然の出来事」に対して感謝ができない時のことを考えた時、
だいたい何が関わってるかって言うと、
人間の考えたルールに、わるい意味で縛られている時だ。

厳密な時間、厳しい規則、過剰な気配り、順序、変な常識・・・
こういうのって神道的にも一部は穢れにもなっていて、
不自然なんだろうなぁって思う。
そして社会で生きる上でわりと苦しみの原因にもなっていることがある。

なかなか難しいけど、
やっぱりもっと世の中がいろんな意味での「自然」を大事にできるといいのになって本当に思う。
ただの理想で、ふわっとした話だけど_(:3」 ∠)_
自分がSNS以外での活動は苦にならないのは、自分の自然体を維持しやすいからなんだろうな。

・・・

夢の話も最近できてないんだけど、
最近は淡々とした夢で、そんなに飛びぬけて変わった夢というのは見ていない。
比較的、平穏に暮らせている証拠だと思う。

強いて言えば最近また泣いた夢を見た事かな。
起きたら涙流してぐずってた自分。
あと、夢の中で眠って、その夢の中で明晰夢を見かける、っていう明らかに疲れた夢。
もっともっと疲れの根源的な部分を
コントロールしようとしたけど、だめだったっていう。
疲れたらほんと休むに限る。
休むしか解決手段ないんだから0(:3 )〜 _(‘、3」 ∠ )_

あと、大きな用事のある日の前~今現在まで、
遠出や荷物整理とかの夢をよく見るようになった。
トランク、外国、アルバムの整理、雑誌の整理、とか、とにかく片づけ。
壊れてるものを直す、洗脳を解いて目を覚まさせる夢とかも。
自分の中でいろいろ立て直しや覚悟とかを、ゆっくりしていってるんだと思う。
急には変われない。ゆっくり変化。

処分してたものもあったんだけど、
大事にとっておいてるものの中には、
中二病的ノートも含まれていてわらった。これは捨てられない魂。

夢にならって自然体に生きようとしてるけども、
なんか最近目の敵みたいに言ってて申し訳ないんだけど、
SNSを見てしまうとそれを否定されるように気分が沈む回数が増えてきてるので、
いろいろ落ち着くまであんまり身を入れて使わないようにしたいな。
SNSの仕組みが苦手なのであって、
そこで出会った人たちに嫌悪はないので、そこは勘違いしないでいただきたい;;

雨にぬれて裸足でべちゃべちゃ遊びたい気分だけど、
人目が気になってできないのもつれぇ
安全圏でだれかいっしょにやろ・・・って叫びたい0(:3 )〜 _(‘、3」 ∠ )_
裸足で触れる大地や水、落ち葉や木の根、すごく気持ちよいんだよ。
梅雨も明けたら、セミの鳴き声、こもれびの響く林に遊びに行きたい。
生命力あふれる夏が好きだ。