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亨
食べ物を捨てる事2019年05月22日 

生ごみの多さに引く亨くん0(:3 )〜 _(‘、3」 ∠ )_
明らかに人間がまだ食べられるものまで捨ててあると悲しみます。
命が不必要に捨てられてる・・・
亨くんは甦鬼と人間のハーフで鋼鉄胃袋で毒も浄化し殺菌もできる、基本的に生きてる動物以外はすべて食べられる人です。
生ごみは全部もったいなく見えてます。

私はあんまり量を食べられないのもありますが、不必要に多くの食べ物を用意するのが、昔からなんとなく嫌です。
いっぱいあるのはいいことです。豊かな証拠ですから。
でもそれをしっかり食べ切れたり、リサイクルできたり、何かに再利用できればいいのですが、軽率に「捨てる」という行為をするのは本当に嫌というか、悲しいというか・・・
家族がその傾向があるので、食べないのは私くらいなのですが、
「食べられなかったら残せばいいよ」とかいうのは理解に苦しみます。
そりゃ無理するのは良くないですが、普通は食べられる量だけでいいのでは?と。
足りなかったら、また食べられる分だけ作ればいいのではないか?
一番理解に苦しむのは、最初はおいしくて、たくさん食べたら具合悪くなって嫌いになった、というパターンです。
私も子供の頃にイチゴを好きすぎて食べすぎで体調崩したことあるんですが、それは私が食べすぎちゃったからで、イチゴは悪くないし、嫌いにはなってません・・・
イチゴの栄養をムダにしてしまって、全面的に私が悪いです。
食べ過ぎはよくないとその時に悟りました・・・

私もどうしても食べられなくて、捨てることはあります。
カビが生えてしまったり、傷みすぎて食べられなかったりとか。
それに肉や、魚の脂身が基本食べられないので、注文したものに入っていたりした時に。
その時は本当に申し訳なくて、料理人さんや生産者さんにはもちろん、命の元の生き物まで、本当に申し訳なくて、罪悪感を感じます。
外食の注文料理は、必ず材料を確認するか、代わりに肉を食べてくれる連れの人がいるのかを気にします。
パフェのミントもポテトの付け合わせのパセリも、お寿司のキクも、全部食べます。
お米も一粒も残さない。
できるだけ、自分のできる限り食べきります。
追加注文して途中でおなかいっぱいになっても、責任もって全部食べるようにしています。

「残していいよ」って、聞いてかなり悲しくなります。
すごく命に対して上から目線な気がして。
なぜか、よくわからないけど、昔から辛いです。
生き物はころさなければ食べられないし、自分も生きられない。
でも人間は、というか、今の時代の先進国は食べ物が有り余ってる状態で、それだけ非常に多くの命が「無駄」に葬られていて、なぜだかよくわからないけど、それが昔からすごく引っかかっている。
かといって自分にできる事は少なくて、私一人がどうこうしてもどうしようもなくて、すごく悲しくなります。

きれいごとばっかかもしれません。
きっと、食べ物が減ったら減ったで困るのでしょう。
ならせめて、感謝の気持ちがあれば、リサイクルとか有効活用するのがいいと思うんですよね。
ゴミの量ってほんと半端じゃないので、せめて生ごみだけでも、家庭で何かエネルギーに使えるものが出来たらよいなぁと思うだけの日々・・・自分もほとんど見てるだけで、大して、変わらないかなぁ。

最近こういう気持ちが募って、家で畑とか、家庭菜園とか、考えようかなぁと思ってます。
庭の木の根元の土に植物類は捨てて栄養になるようにはしてるんだけど、まだそれくらいしかできてない・・・

亨くんにはこういう気持ちまで背負わせてますね。
自分が思う命に対するテーマ詰め詰めです0(:3 )〜 _(‘、3」 ∠ )_
おなかが亨くん並に丈夫だったら、私もいろいろ何が何でも食べきりたい・・・
そういえば小学生の時は社会の環境問題の授業めっちゃ好きだったな・・・
ほんとなんで気になるんだろうね。何があったの自分。